期の変わり目は評価の季節…
私にとって一番憂鬱な時期でございます。
そもそも「目標を掲げてそれに向かって行動する」ということ自体が苦手です。。
ブログとか趣味とか、自分の興味あることについては自然と次の目標みたいなものが沸いてくるんですが、仕事となると全くのノーアイディア。
「数字を上げる」タイプの業種ではないため、目標の立て方が難しいのです。毎回ヒーヒー言いながらそれっぽい目標を立てるものの、結局目の前の仕事に追われていっぱいいっぱい。あーやっぱり未達ですね、とお茶を濁して苦し紛れに自己評価を書いて終了。ここまでに毎度かなりの時間を要してしまう。私にとって苦行以外の何物でもありません。
そんなわけで評価面談も受ける前はとても憂鬱なんですが、上司と色々対話してみると見えてくるものもあったりします。
先日のこのTweetは、まさにその対話を受けて一人でぼんやり考えたことの垂れ流しでした。
自分の欠点として「不明点を訊くには、何がどうわからないか自分で整理してからでないと聞けない」というのがある。これで仕事にモロに支障が出ている。
— みるく(娘可愛いよbot) (@3865oiseau_bleu) 2019年4月3日
上司も周りも「ちょっとでも詰まったらすぐ訊いてほしい」スタンスであるにもかかわらず、だ。
結局周りが気づかないと永遠に悩み続けてしまう。。
この一連のTweetで書いたことを、ブログにも綴っておこうと思います。
「調べてから訊こう」をこじらせすぎて、訊くタイミングを失う
まぁ「調べてから訊く」は誰しもやりますよね。何か人に訊く前に自分で要点を整理してから訊けば、お互いに無駄な時間を使わずに問題が解消できます。
たいていはこれで問題ないのですが、いくら調べてもよくわからない場合があります。そんなとき上手く周りに助けを求めることができず、ドツボにはまってしまうのです。
これまで(産前)は時間が解決していた
産前は、自分が納得いくまでいくらでも時間をかけて悩むことができました。どうしても自分で解き明かしたいから…と残業までして調べて粘って、翌朝上司にわかったことを報告して次に進む、なんてこともしばしば。
しかし、勤務できる時間に制限がある今はもうその手を使えません。定時までに解決しないまま翌日を迎え、翌日になっても解決せずいっこうに進まない…なんてことがしょっちゅうありました。。
復職して3年経った今はチームが変わり、担当コンテンツが変わって、しかもこれまで携わったことのないタイプのシステム改修の主担当となり、システム基盤を作った前任者の大半はもうほぼ不在。ある程度整理された設計書はあるけれど、とにかく膨大すぎて初見殺し…。
そんな状況なので、右も左もわからないことだらけでした。
時間が経つほど言いにくくなる
「自分である程度調べてから訊こう」とするあまり、その「ある程度」の水準に達していないうちは訊くことを躊躇ってしまいます。
これは日にちが経つほど顕著になり、水準も上がっていきます。「こんなに何日もかけて調べた割に何もわかんなかったの?」と思われるんじゃないかと怖くなる*1のです。
そしてまた「ある程度」の水準まで把握しようと調べ、収穫は少ししか得られず、水準になかなか達しないので何も訊けないまま数日が過ぎていく…という悪循環が発生します。
最終的には途中で周りが気づいて助け舟を出してくれるのですが、そのときにようやく「もっと早くから訊いてよかったのか!」と自分の中に納得感が生まれるのです。
「よくわかんねっす!」と言える人が羨ましい
たまに「うーん、軽く見たけどよくわかんねっす!」とあっけらかんと言える人がいます。そういう人が心底羨ましいと思っていました。
自分で調べて煮詰まって遅延するくらいなら、知ってそうな人にバンバン聞いちゃった方が早いでしょ?という考え方には全面的に同意します。実際そうやっている人の方がフットワークも軽く、進みも早い*2のです。
ではなぜ自分はそうできないのでしょうか?
学生時代もあまり人に頼れなかった
学生時代を思い返してみると、私は一人で勉強するタイプでした。気になることやわからないことは自分で納得するまでとことん調べる。ただしそれは興味のある科目限定で、興味のない科目はほぼ放置。
教師に質問するのは最終手段みたいなもので、どうしても試験でできないとまずいなどやむを得ない場合のみ。その時も「何がどうわからないか自分で咀嚼してから」質問していました。逆に言えば、咀嚼ができない場合は質問すらできませんでした。
学年成績は入学時がピークで、その後どんどん平凡になっていきました。
今でも交流のある大学の友人はみな優しく優秀でした。バリバリの運動部・掛け持ちバイト・教職課程・普段の授業・遊びとどれも全力投球。私は運動部を中退し普段の授業だけでキャパオーバーしていましたが、彼女たちは時間の使い方がとにかく上手く凄いなぁと思っていました。
そんな人達に毎日囲まれて楽しい4年間を過ごしていたのに、私は勉学面であまり彼女たちに頼ることができませんでした。理由としてはこんなところでしょうか。
- 自分の低レベルぶりが露呈する怖さ
- 相手の時間を奪う申し訳なさ
- 相手を頼ることへの罪悪感
特に最後の「相手を頼る罪悪感」が大きかったように思います。
「他人の苦労を自分も知れ」という呪いを無意識にかけている
「自分が苦労したんだからお前も苦労しろ」といった、後輩や次の世代に呪いをかける考え方は嫌いです。それではいつまでも進歩しません。
しかし、私が特に忌み嫌っているこの思想を、逆に自分に向けてしまっている気がするのです。つまり「他人が苦労したんだから自分も苦労しないと申し訳ない」と思ってしまう。
かといって私は決して完璧主義ではなく、むしろ真逆のTHE・適当人間。相手を頼るのも申し訳ない、けど苦労もしたくない、ということで大抵は「何もしない」という選択肢を取ることになります。これもまた進歩しないw
適当人間なのに「わかんねっす!」が言えない要因
基本的にものぐさで適当人間な私ですが、仕事で気軽に「わかんねっす!」が言えない理由はおそらく、周囲からのイメージと実際の自分に大きなギャップがあるためと思われます。
新卒で入った今の会社では、今や社歴も長く古株と言われる部類。それだけで「何でも知ってるベテラン社員」という間違ったイメージを抱かれることもしばしば。ホントはただのポンコツなのにw
しかし、一方で「ベテラン」と思われること自体は嫌ではないので、「なんだポンコツじゃん」とイメージを落とされるのを恐れて、「わかんねっす!」と言う前に少しでも自分でできることは最大限努力せねば…と焦ってしまうところもあるのかなと思っています。
ちなみに仲良くなればなるほど、ポンコツな自分を包み隠さず振る舞えるようになるのですが、そこの壁を超えるまでがハードです。私の場合、仕事仲間でそこまで腹を割って話せた相手は数えるほどしかいません。。そして今やそんな私を知る人はほとんどいなくなってしまいました…。
これからどうしていけばいいのか
長々と思うところを書き連ねてきましたが、これからどうしていけばいいのか考えてみます。
完璧を目指そうとしない
まずはこれですね。「自分の調査がこのレベルまで到達しないからなかなか上司に報告できない…」というのを止めてみようと思います。
たとえ中途半端でもどこまでできたかを定期的に報告できるようにしようかと。
しかし、ブログ執筆においても始めから完成形を目指しがちなので、実際は苦戦しそうですが(-_-;)
人に頼ることを厭わない
子供時代から続く性格なのでいきなり直すのは難しいですが、少し意識するだけでも変わってくるのではないかと。
仕事も勉強も、劣等感ばかり気にしていては進まないですし。。
(逆に、家事育児はなぜか罪悪感なく人に頼れるんですよね…w)
助けてほしいときに「助けて」が素直に言えるように、今期は気をつけてみようと思います。