ゆるりとねっと。

ヲタクなワーママのゆるゆる雑記ブログ

渦中の今だからこそ「コロナ禍の記憶」を書き残しておきたいと思う

2020年、日本は新型コロナウイルスという未知のウイルスに翻弄された。

昨年の大晦日に隣国で確認されて*1から程なくして日本でも感染者が出始め、ワクチンがない中でなんとか感染拡大を防ごうとするも、最近は「第三波」の真っ只中でいっこうに収束の兆しが見られないまま、もうすぐ1年が終わろうとしている。

毎日のように、新型コロナウイルスにまつわる様々なニュースが報じられた。やれどこで何人感染者が出た、イベントが中止になった、政府や自治体が外出自粛を呼びかけた、他にも内容は様々。そんなに積極的にニュースを見ていないつもりでも、それらは知らず知らずのうちに私の脳内を圧迫していった


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ログ魔を自称する私は、3月末頃から自分が見聞きしたコロナ関連ニュースをスプレッドシートに書き溜めるようになった。これを便宜上「コロナ年表」と呼ぶ。コロナ年表は脳内メモリを解放するため、つまり自分のために書いていた。

個人で見聞きした範囲なので、全てのニュースを網羅したわけではない。しかしそれでもコロナ年表は日に日に件数を重ね、12月1日時点で1467件にものぼった。


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人は良くも悪くも「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ようにできているように思う。コロナ禍で辛い・苦しい・悔しい思いをしても、収束した数年後には当時の生々しい気持ちまでは思い出せなくなるだろう。そして未来の教科書に残る数行程度の説明で片付けられてしまう。私達が過去の戦争や事件を、数行程度の説明で知っているように。

別に私はジャーナリストでもルポライターでもなく、ただのしがないエンジニア兼2児の母である。でもこのコロナ禍をリアルタイムで経験している人間の一人だ。今、コロナ禍を生きる者たちはみな「コロナ禍の生き証人」ということになる。

コロナ禍で人々の生活が一変し、当たり前だと思っていたささやかな楽しみも奪われた。人の移動や集合が制限されたことで、多くの業界が涙をのんだ。そこには数行程度の説明では片付けられない、たくさんの思いがあった。

渦中にいる今だからこそ、我々はその「記憶」を残さなくてはならないと思った。記憶はやがて薄れる。だから書き残すなら「今」なのだ。


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とはいえ、渦中にいて辛いときほど忙しくて書き残す時間がないというジレンマもある。現にこの記事は元々、3月〜5月の登園自粛期間が大変だったことを書こうと6月に開いた下書き記事だった。しかし復職直前で忙しかったのと、既に記憶が薄れかけていたことでなかなか筆が進まず、そのままお蔵入りになってしまったのだ。

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コロナ禍がどうとか以前に、育児に関する出来事も同様の理由でなかなか満足に書けないでいる。育児ブログをこまめにやっている人はほんと凄いと思う。

www.yururito.net

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少し話は逸れたが、これまで自分のために書き溜めていたコロナ年表を使って、本ブログ内で「コロナ禍の記憶」と題する記事をいくつか書いていこうと思う。年表の内容をただ書いても冗長になるだけなので、テーマを絞って書くつもりだ。

お気づきの方もいたかもしれないが、既にカテゴリとしては存在しており、多かれ少なかれコロナ禍が関係する記事にはサブカテゴリ的につけていた。たとえばこのような記事が該当する。

www.yururito.net

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ちょっと調べてみると「デジタルアーカイブ」という取り組みがあるらしい。私がやろうとしていることに似ている。

既に国内外でCOVID-19に関するデジタルアーカイブはいくつか存在していた。

新型コロナウィルス (Covid-19) 感染についてのデジタルアーカイブ (国内) | デジタルアーカイブ学会

新型コロナウィルス (Covid-19) 感染についてのデジタルアーカイブ (国外) | デジタルアーカイブ学会


間違いなくコロナ禍は近年稀にみる歴史的事件である。日本中、いや世界中の人々が共通の話題で持ちきりになったことなどこれまであっただろうか。

初めて経験する未曾有の事態。このことを後世に伝えるために(というと仰々しくも感じるが)、このブログを通して小さなことでも発信していけたら、と思っている。