ある日、次女が突然「死んじゃったらもう会えないの?」と訊いてきた。
次女は4歳になったばかり。何がきっかけかはわからないが、死というものをなんとなく理解しはじめたのだろうか。
私は親戚と呼べる家族が元々少ないこともあり、まだ親族の死に直面したことはない。旦那の曽祖父とか少し遠い間柄ならあるが、生前会ったことはないので特に何も感じなかった。
そんな私が今までで一番身近に感じた人の死は、長女の保育園の担任の先生。今から約4年前、長女が4歳10ヶ月の頃だった。
クラス担任の急逝
2019年10月のある夜。4歳児クラス保護者のLINEグループに、目を疑うメッセージが飛び込んできた。
「○○先生が今朝、心筋梗塞で亡くなりました」
は………?
嘘でしょ……
だってつい先週、運動会を無事に終えたばかりじゃないか。
昨日だっていつものようにお迎えに行き、軽く会話をして別れたじゃないか…また明日と言って、いつものように。
なのに、なのに。
……どうして……。
このときは保護者間で共有されたのみで、子供たちには園から伝えるからまだ話さないでと言われていた。
ほぼ毎日顔を合わせていたクラス担任が急逝するなど、大人である我々でも辛く受け止めがたいものがあった。ましてや4〜5歳の子供たちのショックは如何ほどか…。いつものようにひょうきんな長女を見やりながら、先生の訃報を知ったあとの長女をどうケアしていくべきか悩んだ。
子供たちの反応
保育園から子供たちに伝えられたのはその翌日だった。お迎えに行ったとき、長女が開口一番「○○先生死んじゃったの!だから皆でお手紙書いたの!」と教えてくれた。
そのときは普段通り元気そうにしていた長女だったが、夜トイレで「○○先生死んじゃった…悲しい…」とポツリ。長女によると、保育園で話を聞いたとき泣いた子もいたとか。そりゃそうだよなぁ…。「天国へ行っちゃったんだ」とも話していた。
通夜は近親者のみで執り行われたが、別途園児たち向けにお別れの場を設けてくれることとなった。ただ、子供たちがショックを受けることも鑑み、参列するかどうかは各家庭に委ねられた。
このとき私は臨月で着れる喪服がなく、なにより長女は辛いからという理由で参列はしなかった。
長女は先生が大好きだった。帰り道の会話でもよく名前が出ていたし、すごく良くしてもらったんだと思う。
忘れられない思い出
長女は今でも時々あのときのことを語る。
これまでの人生で一番辛かったのは先生の死だと言う。
私が妊娠初期の頃、長女にだけこっそり伝えたらその日のうちに保育園じゅうに知れ渡ったのだが(笑)、そのときこそっと「長女ちゃん言ってましたが本当ですか?」と確認してからおめでとうございます!と言ってくれたのがその先生だった。
あのとき、まさか先生に次女を見せることができなくなるなんて、そして保育園を卒園する長女の姿も見せられなくなるなんて、微塵も思ってなかった。昨日まで会話した相手が急にいなくなるなんて、信じられなかった。
卒園式の日、祝辞に先生の名前が出てきた。天国からきっと見てることと思います、そんなくだりを聞いて、本当に見に来てたらいいな…と思った。
小学校で毎年開催される持久走大会では、近隣の保育園の先生たちが応援に来る。卒園して数年経っても長女のことを覚えてくれていて本人も嬉しがっていたが、「○○先生も(生きていたらここに)いたのかなぁ…」と言う姿が少しせつなかった。
あれから4年余。
いつも冬になると思う、先生のこと。
先生、ありがとうございました。