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森田剛主演短編映画「DEATH DAYS」感想(ネタバレあり)

2021年の年末は楽しみが色々あった。そのうちの1つが、3夜連続で公開された剛くんの短編映画「DEATH DAYS」。

私は全て公開とほぼ同時に観た。しかし感想が上手くまとまらず、投稿に至るまでかなり時間がかかってしまった。。

短編映画「DEATH DAYS」

剛くんがジャニーズ事務所を退所後、立ち上げた個人事務所で製作したのがこの短編映画。YouTubeでの公開なので何度でも観ることができる。

作品情報


公開日第1話︰2021年12月29日24:00
第2話︰2021年12月30日24:00
最終話︰2021年12月31日24:00
企画・製作MOSS
監督・脚本長久允
キャスト
※敬称略
森田剛
前原滉/佐藤緋美/まもる。(もも)/せめる。(もも)
小沢まゆ/カトウシンスケ/渡辺陽万/吉村心/のえ/小坂井徹/野上信子
街裏ぴんく/根本隆彦/うらじぬの
石橋静河
本編映像第1話(12:48)
第2話(14:48)
最終話(18:19)


生まれたときから自分の死ぬ日(デスデイ)を知っている、という世界での物語。

剛くん演じる主人公の、10歳〜40歳までのエピソードが全3話で描かれる。

公開までのカウントダウンでは、様々なキャッチコピーが展開された。


「12月31日に、ぼくは死ぬらしい」


「最後に聞きたい曲はなんですか?」


「最後に食べたいものはなんですか?」


「最後に行きたい場所はどこですか?」


「最後に会いたい人は誰ですか?」


「ぼくらは今日も、すごく生きたい。」


「今日も死んでなくて、おめでとう。」

作品の感想

まず…バッドエンドだと思っててごめんw

剛くんの過去作でも重い展開やバッドエンドは多く、なんかそういう耐性ついちゃってて、タイトルや設定からして主人公は最後死ぬんだろうな…なんて漠然と思っていたもので。。

室内の奇抜な色使いや不協和音、時々あるモノ目線のアングル、登場人物の何気ない会話のベースに常に横たわる「死」、そういう諸々の演出から不穏さが拭えず、最後までどうなるんだ?とザワザワした。特に2話後半〜最終話前半は重かった…

でも、終盤からラストに向かうにつれてこれまでの不穏さを払拭する爽快感があった。「死」を意識させることで逆に「生」の喜びを映し出す、すごく前向きな作品だと感じた


ここからは、あらすじをなぞりながら各話について感じたことを述べる。ネタバレ注意。

第1話

人がこの世に生まれたときから決まっている「デスデイ」。デスデイは絶対で容赦ない。

10歳の少年は、祖父や弟の死を目の当たりにする。弟に至ってはまだ赤子である。ベビーベッドの上で回り続けるメリーと、人形のように動かない弟を呆然と見つめる姿がやるせない。

20歳になった青年は、仲間たちとデスデイを過ごしていた。他愛のない会話から死生観についての話題へ。人間は死んだらどうなるのか?という問に、"水"になる説が浮上。ではどんな水だろうか、仲間の一人が言う。

俺 ほぐし水
コンビニに売っている蕎麦をほぐすためだけの水
存在理由がシンプルで憧れてんねん
人間はちょっと複雑すぎるわ
俺はほぐし水になる
俺はほぐすぞ
ほぐすぞ

コンビニでざる蕎麦を買ったことがある人にしか馴染みのない「ほぐし水」。確かに存在理由は単純である。人間もそのくらいシンプルな生き方でいいような気もする。

青年のデスデイが明け、バンドやろうぜ!とその場のノリで盛り上がり名曲が誕生。しかし数ヶ月後に仲間の2人が死に、それをきっかけに皆疎遠になってしまった。あまりにあっけない別れとなる。


てか…まさかのCDTVに出た風なコメントVTRが劇中に出てくるとはwww

中の人つい先日までそういうコメントVTR出てましたけど…でも劇中の主人公はどこか素人感出てて同じ人とは思えないw

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あと20歳役のビジュアル凄すぎない!?

金髪・髭なしにするとこんなにも若返るのね…。

ちなみに剛くん自身の20歳の頃といえばこれ。カースケ役の頃、ギラギラしてたなぁw

第2話

30歳のデスデイ。恋人ととりとめのない会話をする主人公。

会話はボウリングじゃなくて卓球のラリーだという例えや、今の自分たちはグラグラした子供の歯だから2人で永久歯になろうというプロポーズなど、独特の言い回しが面白い。

次のさ君のさデスデイにさ 結婚式あげようよ
デスデイなんか忘れて
その日 結婚記念日にしようよ

ずっと不安に過ごす日だったデスデイが、初めて楽しみな日に変わった。デスデイを完全に忘れることはできなくとも、記念日という思い出で塗り替えることはできる。

迎えた結婚式当日。何もかも終わってヘトヘトで帰ってきた2人が妙にリアリティある。目の前のごちそうが何一つ食べられないことへの嘆き*1もとてもよくわかるw

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しかしそんなひとときは、彼女のデスデイが明ける直前で覆されてしまった。お湯を沸かしに行った彼女を見やり、何かを感じて代わろうとしたが間に合わなかった…。

祖父や弟、友人を亡くし今度は妻である。しかも今回は自分の目の前で…。幸せの頂点からどん底に突き落とされてしまったのだ。デスデイを記念日で塗り替えようとしたら、早くもデスデイで塗り替えされてしまった。あまりにも非情だ。

最終話

妻の死から時が止まったような、ゴミで荒れ果てた室内。

首吊り、OD、飛び降り、あの手この手で自ら命を断とうとする。でも死ねない。デスデイじゃないから。

毎年恐れる対象だったデスデイが、死にたいと思う者にとっては待ち遠しい日になっていた。

そしてようやく迎えた31歳のデスデイ。目張りをし、用意していた練炭を使って横たわる。遠のく意識の中で、10歳の自分になぜ死にたいのか問いかけられる。「生きていても意味がない」と呟く主人公に少年は言う。

そうだよ
生きることに意味なんてないよ 初めから
だから ただ生きろ
子供の頃は
ただ生きてたじゃん

続けて、亡くした仲間たちが現れ語りかける。あのとき作った歌「DEATH DAYS」を口ずさむ。

死んでない 死んでない
死んでない やったね

思い出の曲あるじゃん、と亡き妻も語りかける。窓を開ける妻。目覚めると、密閉していたはずの部屋に風がそよいでおり、デスデイは明けていた。


ここまでのくだりがとてもよかった。

生きる意味なんて見いださなくていい、ほぐし水みたいにシンプルに、ただ生きてりゃいいんだ。これは「生きてるだけで丸儲け」という考え方に近いのだろうか?

我に返り、ふと目に留まったざる蕎麦のほぐし水。近くに虫が這っているのに*2躊躇なく蕎麦をすすり、「…まっず」と呟くところに僅かながら「生」を感じた。

最終話のラスト

40歳の主人公は編集者に「先生」と呼ばれていた。

ここからが種明かし。今までのくだりは先生が連載している小説「デスデイ」の内容だったらしい。しかし「10年前に妻・紀子が死んだ」ことは事実であり、フィクションとの境目は曖昧になっている。

先生は語る。

人は突然死ぬものなのにさ
死なないって思い込んじゃってるじゃん
もしデスデイがあったら
それに気づけるから
死ぬことに気づけるから
この一瞬一瞬が光る気がするんですよ

確かにそうだ。人はいつか必ず死ぬとわかっていながら、その「いつか」が今日かもしれないことには無意識に目を瞑っている。何気ない日常の中で「自分の死」を意識する機会は非常に少ない*3

何年かはわからないが死ぬ日がわかっているというのは、ある日突然死ぬよりかはマシだと思う。毎年毎年「今年かもしれない…」と怯えることにはなるが、ある意味心の準備ができる。

「まあデスデイなんてないんだけどね」

デスデイはフィクションであっても、誰もが「死ぬかもしれない今日を生きている」のはまぎれもない事実。この短編映画が1話ずつ3日間に渡って公開されたのも、視聴者自身に"死んでない1日"を意識させるためだったのではないかと感じた。


"40歳のデスデイ"が明けた。「DEATH DAYS」に乗せて、主人公は軽やかにステップを踏みながら街を闊歩する。

ここで初めて部屋の外、街並みが描写される。デスデイ当日の室内にこもるシーンが続いたので、やっと外に出れた開放感がすごい。

ポールにもたれて一周したり、すれ違う人たちとハイタッチしたり、ボンネットにひょいと登ったり、地べたで蕎麦を食い始めたり…「死んでない やったね」の喜びを全力で表している。

そしてラストはこの言葉で締めくくられる。

「今日も死んでなくて、おめでとう。」

まとめ

役者として新しいスタートを切った剛くん。

「DEATH DAYS」はそんな幕開けにふさわしい前向きな作品だと感じた。

私もなんでもない今日、当たり前の日常を大切に生きていこうと思った。今日も死んでない、やったね。

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*1:ちなみに私の結婚式では、肉料理だけは意地でも死守しようと僅かな隙を狙ってがっついた。複数の友人にその瞬間を目撃されている。

*2:なんとハエは偶然だったらしい…

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*3:とはいえ私自身、学生時代は死への恐怖が大きかった。毎日毎日「明日死ぬかもしれない」と思いながら。大人になるにつれその意識は薄らいでいったが、子供を生んでからは「死ぬわけにはいかない」という気持ちになった。