2018年にこのブログを初めてからもう4年半くらいになる。
開設初期に比べると、ライブ/イベント/映画/舞台などの感想・レポ記事の割合がかなり増えている。というかだいたいそればかり書いている気がしないでもないw
ではなぜ感想・レポ記事が多いかというと、こんな感じの理由がある。
- 自分が忘れたくないから
- 感じたことを言語化したいから
- やんわりと布教したいから
自分が忘れたくない
元々記憶力に自信がなく、子供の頃からノートなり日記なりにいろんなことを書き留めるのが習慣となっていた。パソコンやスマホが普及してからはそこにログを残すようになった。私にとって書くことは「外部記憶装置」のようなものなのだ。
どんなに感激したライブでも、どんなに面白かった映画でも、時が経つとともにどうしても記憶が薄れてしまう。また、思い出せたとしても当時感じた気持ちまで手に取るように再現できるものではない。
たとえばこれは2008年に開催されたライブのレポ記事だが、当時の日記が残っていなければ書くことはできなかった。
また、これは2018年に開催されたイベントのレポで、混乱する現場の状況を事細かに記載した。こういう「何が起きて、どう感じたか」という記録はリアルタイムじゃないと書けないものである。
執筆時間が取れなくてレポ記事を諦めたものも多々ある。セーラームーンのTeNQコラボやSuperLiveなどは、行ったのに感想を残さずじまいだった。今思えばレポ記事を書いておけばよかったと後悔している。
なので、見たり聞いたり感じたりしたらなるべく早いうちに書く。感銘を受けた箇所、感じた気持ち、モヤッとしたこと、文字として残せるあらゆることをできる限り書き残し、あとから読んだときに思い返せるようにしたい。
感じたことを言語化したい
とはいえ、見た直後というのはだいたい語彙力がぶっ飛んでいる。「やばい」「尊い」「凄すぎる」色々な感情がないまぜになって、こんな言葉しか出てこなくなるのだ。。
なので、ここで「感想の言語化」をする必要が出てくる。あとから読み返したときにある程度感想文として成り立つレベルにまで言葉に落とし込む。そうしないと本当の意味で思い返せなくなるからだ。
たとえばこのTweetが
twitter.com劇場版スタァライト観た…
— しゃとーぶりあん🐻🐟♥セーラームーンミュージアム7/3 (@oniku_daisuki) 2021年6月6日
やばい…
猛烈に語彙力ぶっ飛んだ…
やばい…
この記事になる
この工程は楽しい半面、苦しくも悩ましいときがある。そもそも気持ちの言語化は難しい。4年半ブログやってても、今だに言葉を紡ぐのにかなりの時間がかかってしまう。感じた気持ちを新鮮なうちに言葉にして記録したいのに、その言葉が的確に紡げない。早く言葉を紡ごうとする最中にも、感じた気持ちはどんどん過去のものになっていく。焦る。
また、やっと書けたものの「なんか違う」仕上がりになることもある。語彙力ぶっとび状態からある程度言葉に落とし込むフェーズに行くと、荒削りな中に存在していた「熱量」がいくらか飛んでしまうのだ。冷静と情熱のあいだ。塩梅が難しい。
ヲタクの書いた語彙力ぶっとび状態の記事がバズることがある。確かにそういう記事はとても面白い。文章が荒削りでも、ただならぬ情熱が伝わる。私もそういう書き方に憧れるのだが、なかなか真似できない。ああいう書き方ができる人は一種の才能だと思う。
やんわりと布教したい
言葉に落とし込んでレポ記事を書くのにはもう一つ理由がある。同じ作品を見た同志はもちろん、それを見てない・知らないという人にもなんとなく伝わるようにしたいのだ。それがひいては間接的な布教活動に繋がるかもしれないし、少し興味あるという人が検索で記事をみつけてくれるかもしれない。
私はリアルでもネットでも推しの布教はほとんどしない。推しを推すこと自体は積極的でも、他の人*1に推しをオススメすることはあまりしたくないのだ。1人でひっそり楽しみたい派だったりする。
だけど、ブログであればやんわりとした布教ができるのでちょうど良い。興味ある人や読みたい人が読みに来てくれるので、押しつけがましい布教にはならずに済む。
以上が、私が感想記事・レポ記事を書く理由だ。
やっぱり「自分が忘れたくない」というところが大きい。だから自ずとネタバレありな感想記事の方が多くなる。
百聞は一見に如かず、いくら文章を書き連ねようと実際のステージなり作品を観る体験に勝るものはないので、個人的には文章によるネタバレはかなり許容しているところがある。これからもネタバレありのレポ記事はどんどん書いていく所存である。
本ブログのネタバレ掲載ガイドライン
*1:相手側から「興味あるんだけど教えて」と来られた場合は別だ。その場合は全力でプレゼンする所存である。